きりんご的思考

無意識の 思考が一日(ひとひ)を 倍にする

一人暮らしあるある ~独り言が増える~

社会人1年目から一人暮らしを始めた

 

一人暮らしの初期、部屋にポツンと一人でいるのが寂しかったため、休日はいつも友人を誘って外出していた。

 

しかし、1か月、2か月、と過ぎていくうちに、友人の仕事が忙しくなり、休日は一人で過ごすことが多くなっていった。

 

寂しい。

 

とりあえず、テレビをつけた。

バラエティー番組をやっていた。明るい笑い声が、寂しさを紛らわしてくれた。

 

一日中家に居るときは、一日中テレビをつけた。

朝や夕方は好きな番組がないため、撮りためた深夜番組を流した。

 

「あ~分かる!」「え、まじで?」

と、リアクションが自然と声に出るようになった。

 

次第に、テレビの前だけでなく、料理中や買い物中にも声が出るようになってきた…。

 

 

これが、独り言が増えるメカニズムである。

 

一人暮らしあるある ~笑いのツボが下がる~

 

社会人1年目から一人暮らしを始めた。

自分だけのキッチン。

自分だけのトイレ。

自分だけのテレビ…。

そう、テレビ。

 

実家にいるときも自室にテレビはあったが、隣室にいる父に聞こえないよう、声を抑えめに笑っていた。

しかし、一人暮らしになり、部屋の壁が厚くなると、テレビを見て安心して笑えるようになった。

 

すると、笑いのハードルが下がったのか、些細なことでも笑ってしまうようになった。

今までは無表情で見ていたバラエティー番組を、ゲラゲラと声を上げて見ている自分がいる…。

解放感とは恐ろしや。

 

実家に帰ったとき、バラエティー番組を見て、いつもと同じようにゲラゲラ笑っていると、他のみんなは笑っておらず、

「はは…」

と笑いが収束していったことは言うまでもない。

 

【自作】英語のことわざ

きりんごが作った、きりん家族のことわざをご紹介。

(英語は少しかじったくらいのなので、文法的に合っているかは自身なし。)

 

His head was in too position to have same grass as other giraffes.

 

Giraffes cannot help but be “nonstop talkers” when she plays the role of a listener.

 

It is astonishing that the actual cause of the global warming is the sighs of the giraffes who had the wonderful dinner she made.

 

The proverb, “there used to be a great giraffe next to me,” was made of the casual remark of her husband.

 

The young giraffe grown up in the house which has no roof get punished by the low positioned ones in the society.

 

Seeking the moon, the young giraffe looks up the dark sky again and again.

 

The young giraffe hopes that she can find the body which fit her outstanding head.

 

血液型占いは、相手から見た自分を測るもの

A型でしょ?と言われてきた

 

昔から、

「血液型は?」

と初対面の人に聞かれると、嫌気がさしていた。

 

血液型が性格を表しているという科学的根拠はない。

今では、このことが広まってきたが、昔は本当に信じている人が多かった。

 

きりんごが中学生だった頃、

「きりんごさんって何型?あ、O型なんだ!意外~」

(ほとんどがこのリアクション)

と言われ、ちょっとイラっとしていた。

 

「A型だと思った~!意外と大雑把なんだね~」

なんて言われた日には、つい手が出そうになったものだ。

 

きりんごは昔から占いというものが嫌いで、

おもむろに占いの本を持ってきて、

「きりんごさんはどこに当てはまる~?」

と聞いてくる女子が大の苦手だった。

 

「占いなんて信じてるの?」

と言ってしまった日にはぼっち確定の社会だったから、もちろん顔には出さず、

「ここだよ~」

と笑顔で答えていたが。

 

 

今でも、ニュース番組を見ていて

「今日の運勢は…」

なんて聞こえてくると、慌てて電源ボタンを押してしまう。

 

ただ、昔と違うのは、

占い=他人が勝手に自分のことを決めつけるもの

から、

占い=相手から自分がどう見えているのか測るもの

へと変わったことである。

 

例えば、

「O型なんだ!A型だと思ってた」は、

「きりんごさんって意外と大雑把なんだ!几帳面な性格だと思っていた!」

と言われたということである。

 

つまり、相手が自分をどういう性格だと思っていたかを測る指標となる。

だから、きりんごは血液型を聞かれたら、すかさず

「何型だと思う?」

と聞き返すようにしている。

 

ここで、何の考えもなしに「じゃあB型~?」なんて返してしまうと、

「あなた、変人に見えるよ」

と言ってしまっているようなものであり、注意が必要である。

 

実は、「血液型なんだと思う?」は、迂闊に答えてはならないシビアな質問であるのだ。

 

 

でもやっぱり、不快なことに変わりはないのだが。

 

貯金はすべきなのか

「貯金はしておかないと、急に必要になったときに後悔するよ」

 

と言われてきりんごは育ってきた。

 

だから、毎月これだけは貯金する、と決めて、

クレジットカードでは引き落とせない口座へ入金している。

 

でも、本当に貯金しておくことが大事なのか?

と思った。

 

急にお金が必要になるといえば、大きな病気をしたときとか、事故の加害者になってしまったときとか、会社を急にクビになったときとか、であろうか。

 

そんな、あるか分からないときのことを考えて、今欲しいものを我慢したり、食費を削ってひもじい思いをしたりする必要はあるのか。

人生はいつ終わるか分からないから、今、この瞬間を楽しむべきでは?

 

…なんて、陳腐なことを考えた。

 

お金は必要になったときに用意すればいいじゃないか。

借りるもよし、モノを売るもよし。

 

しかし、長い目で見ると、

借りると利子が付き、余計な出費となる。

モノを売ると、もともと1万の価値のモノを持っていたのに、結果、手元に残るのは3千円。なんてことになる。

 

後払いは損である。

 

結局、

「ちゃんと貯金(前払い)しておけば・・・」

と後悔するのだろう。

 

 

こうして今日もきりんご財布の500円玉は、貯金箱へと消えていった。

 

年の取り方は人それぞれ

他人の年齢が分からないのは当たり前

 

この前、

「あの人25歳くらいかな~」

と思っていたら、実は37歳だと知って驚愕した。

逆に、42~43歳だと思っていた人が、実は34歳だった時もある。

 

その時考えたのは、

「近年、生活習慣が多様化してきて、一人ひとりの年の取り方が変わってきたからなのかもしれない。」

ということだ。

 

例えば、欧米の人は、日本人に比べて大人っぽく見えると言うから、

欧米風の生活をしている人は、日本の伝統的な生活をしている人よりも、老けて見えるのかもしれない。

他にも、身体的、精神的に苦労をした人は、すぐ老ける、というのも聞く。

 

ただ、これらの考え方は、

「もともと人は平等に年を取る」

つまり、

「一人ひとりの人間に流れる時間の速さは同じだ」

ということを前提としていると気づいた。

 

でも、人によって時間の流れ方は絶対に違うと思う。

精神的な「感じ方が違う」のではなく、物理的な「進み方が違う」のである。

 

人によって寿命が違う、ということは誰もが納得するだろうが、

その原因は、生活習慣や周囲の環境に左右される(後天的な)ものではなく、

遺伝子の違いによる(先天的な)もの、ということである。

 

つまり、

「私は27歳です。」

=「私は暦では27年生きましたが、それは私にとっての『27年』であって、あなた方が過ごしてきた27年と全く同じでなはく、もしかするとあなたにとっては『20年』であって、そちらのあなたにとっては『30年』かもしれません。だから、27歳だからといって『アラサーじゃん』だとか、『私より年下の割には老けて見えるわね』とか思われてもそれは当たり前のことであって、そんなことをいちいち他人に対して感じていても意味はないのです。せいぜい、『あ~この人は私よりも時間の流れ方が速いのね』とか思ってくれれば良いのです。一応、27回分の年を経験してきた、という基準として、『27歳です』と言っておきますね。」

ということである。

 

ちなみに、きりんごの考える、きりんごの年齢は、26歳である。

アラサーじゃん。

 

「平成最後の〇〇」に響かない

 

「平成最後の500円玉」

 

「平成」も残りわずか。

5月からは年号が変わり、新しい時代が始まる。

 

「平成最後の冬」「平成最後の成人式」など、「平成最後の〇〇」をよく耳にするようになった。

 

でも、多くの人にとって、初めて「平成最後の〇〇」を耳にしたのは、テレビではないだろうか。家族や友人から聞いたわけではないだろう。

 

そして、テレビでその言葉を聞くたびに

「そういえばこれ、平成最後か~」

となる人は、この意識が潜在化し、いつの間にか自分でも

「明日は平成最後の忘年会だ!」

とか

「今日は平成最後の誕生日だ!」

とか勝手に思ってしまうわけである。

 

きりんごは、テレビで「平成最後の〇〇」と聞くたびに飽き飽きしていた。

平成最後の冬ってwww

冬は毎年来るやん。今まで何千何万回あった冬の一つやん。

年号変わるたびに毎回それ言うんかい!

 

きりんごは以前、きりんご母とこのことについて話した。

きりんご「平成最後のなんちゃらって、別に何も思わんのよね~」

きりんご母「うん私も。」

 

やはり、きりんの子はきりんである。

 

 

ただ、「平成〇〇年」と記載のあるモノには価値を感じてしまうようで、

財布の中の「平成31年」をつい、探してしまうのであった。